10. 松ケ鼻用水記念碑(畑町)

北日野地区自治振興会

明治3年に21ヶ村で設立した松ケ鼻用水組合50周年を記念して建てられたもので、鈴木拾五郎、徳山五大夫の功績をたたえ、裏面には「奥山のすすきのたれか松が花 用水引く国の徳山」と書かれています。

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松ヶ鼻普通水利組合記念碑建立八幡神社境内 拝殿の左側 大正九年 建立)

明治三年、関係する川下の二十一ケ村(畑・小野谷・矢放・庄田・岩内・大屋・葛岡・庄・横市・塚・北・杉崎・下真柄・戸谷・三ツ屋・長尾・平林・西尾・中新庄・下新庄・高木)で、松ヶ鼻用水組合を設立してから五十周年を記念して、大正九年に畑村の八幡神社境内に建立されました。記念碑の裏面には、「奥山のすすきのたれか松ケ花 用水ひく国の徳山」と書かれています。この詩は、松ケ鼻用水組合の設立に、多大な功績を遺した鈴木拾五郎・徳山五太夫の名を後世に伝える記念碑です。

松ヶ鼻用水変遷

文永年間(1264年~1273年)日野川の大洪水のため濁流が東流して、大屋村の千石岩に激突して、更に、岩内方向に流れを変えたと伝えられています。この流れは、正平年間頃(1346年~1369年)に、畑村の住民が手造りの土手などを施したために、洪水が治まり現在のような流れに落ち着きました。

 洪水も治まったこの頃から、畑村・矢放村などの土地が、農地として開拓されてきたと伝えられています。文明年間(1469年~1486年)頃から、本格的な水路の設置、堤防の造成工事が進められました。

この時代に造成された水路が、畑村・小野谷村・矢放村の重要な上用水路(かみようすいろ)でした。用水口は日野川から引水していたため、住民たちで造ったこの用水路の水を、向新保村の百姓が、自分たちの農地にも引き入れようとしたため幾度も、争い事が起こっていました。

往古から〝松ヶ鼻用水〟大元締めだった畑村は〝水の都〟

八幡神社の境内付近は、とりわけ〝水〟に関係する神仏が祀られています。境内には、松ヶ鼻パイプラインの竣工を記念して、滝からは、豊富な水が流れ落ち、緑豊かな静寂な中にあって一層こころ癒されます。

「江戸末期」日野川・松ケ鼻用水 古絵図

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