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公民館開館 9:00〜22:00
〒915-0052 越前市矢放町21-11
「延喜式神名帳」に記載されている式内社で、京都上賀茂神社の「賀茂別雷命」を勧請。神紋に二葉葵が使用されているます。嘉永3年(1850年)現在地に遷宮されました。境内は苔むした趣が漂っています。
石川県管下越前国今立郡帆山村第二十五番地字堂ノ前
北日野村帆山第三十三号山田六番地、二番地ノ三 四番ノ三へ移転
明治四十年八月二十六日社名文字訂正許可
祭神 | 別雷神(わけいかずちのかみ) 加茂明神『神祇志料』 |
『今立郡神社誌』
石川県管下越前国今立郡帆山村三十八番地向山下
祭神 豊宇気比売命
※明治四十年十月二十八日 帆山神社へ合祀
石川県管下越前国今立郡帆山村六十番地字小城谷口
祭神 天照大御神
※明治四十年十月二十八日 帆山神社へ合祀
式内社 帆山神社 越前国今立郡帆山村鎮座
事 由
天正四年丙子二月 當国北庄様ヨリ當社御尋ニ付
當御領主・府中龍門寺御城代 佐々内蔵助様江 村方ヨリ書上
一、帆山神社 祭神 不詳
當神社ノ儀ハ 人皇二十代・允恭(いんぎょう)天皇六年丁巳 帆山村香山ノ地ニ鎮座ス 継体天皇勅願所タリ 四十三代元明天皇和銅六年五月十一日 大屋郷ト定メ給フ 末社ニ 木花佐久夜姫命(このはなさくやひめ)薄墨ノ櫻ヲ植給ヒ 今世ニ之ヲ子安ノ神ト称シ 帆山村字犬馬場ノ地ニ座セリ
昨年大乱ノ節迄 當社ノ儀ハ本社左右ノ摂社・神門・拝殿・十二末社・一ノ鳥居・二ノ鳥居 併 寶蔵・神官一戸・神子一戸・祝三人御座候
正安六年辛丑三月 新田義貞公ヨリ翁面併御鈴御寄附
延徳二年辛亥七月義俊公ヨリ燈基御寄附 其外石燈基各々寄進四十八有之真柄民部太夫様ヨリ 五尺二寸太刀御寄附
朝倉公ヨリ七町五反御寄附有之 御祈願所タリ 其頃大屋村ニテ毎年四月三日・七月三十日両度御社参有之 元正癸酉年十月大森左京様ヨリ石燈基御寄附以後御代々武官ノ御寄附有之
右ハ 今般神社境内外地坪建坪其他御取調之儀ニ付當社事由申上候
第七大区十八小区 帆山村 帆山神社氏子総代
明治八年十二月九日 太田甚右衛門印(備考。用紙、敦賀縣第七大区トアリ)
神奈川県稲村ケ崎の浜で潮が引くのを念じて後醍醐天皇より下賜された黄金の刀を海に投じると潮が引き、岬の南より鎌倉に攻め入り、北条政権を滅亡させた勇壮な新田義貞が描かれています。
帆山神社は新田義貞・朝倉氏・真柄民部太夫をはじめ多くの武将が、篤く信仰していました。
『南越温故集』には、「帆山賀茂大明神 今立郡ニ在。延喜式ニ帆山ノ神社ト云 帆山・矢放・大屋三ヶ村之産土神之由」とある。
帆山神社は、日野川の洪水を防御するために、山城国(京都) 上賀茂神社の分霊で「賀茂別雷命」を治水の神、農業の神として勧請。神紋は賀茂神社系の「二葉葵」が用いられています。
別雷命は、元来、雷神 火神で、古代には人々は自然を敬うとともに、「雷」「火」は、恐れでもありました。また、雷をも支配する強大な力が必勝につながるとして、勝運と武運長久を願う武将が篤く信仰していました。
「帆山神社」は、元々帆山村の東南 字・堂前地籍に鎮座していたもので、旧帆山神社参道には当時を偲ぶ石柱が残されています。
村国山は元来、「帆山」と呼ばれ、「ホ」は「光・秀・香・保」と呼ばれていました。聖なるものが降りてくる山、聖なるものが宿る山として信仰の対象としての崇高な山で、村国山全体には古墳時代中期頃の円墳や横穴墓など五十基があります。
村国山の南側 帆山村「字・経塚」という地籍があります。この山頂には 帆山神社の祭祀跡なのか、あるいは磐座なのか、また、帆山寺の経文を納めた経塚ともいわれている岩魂が残されています。
しかし、帆山の住民の話では、以前この場所は石切り場であったといい、実際帆山町から矢放町へかけての南東の山には、良質な石が産出された事で矢放町には石を生業とする石屋や石工がいました。
現在も大屋町の河川の擁壁や岩内町の石塔に石工の銘を見ることができます。この岩魂一帯については、名称も「大屋経塚」「村国山古墳」「帆山古墳群」と変わり、現在は「帆山城跡」となっています。
帆山村に隣接した矢放村「字・寺向」地籍には帆山神社の分霊である「別雷神」を勧請する高志箭放神社が鎮座しています。
高志は丹生郡(旧高志国)に通じるのか、また行基菩薩の俗姓・高志氏をさして社号がつけられたものか、この場所からは須恵器が発見され、鎌倉時代に大きな寺院が建っていたと伝えられています。