5. 難破船絵馬のある白山神社(矢船町)

北日野地区自治振興会

日野川の東岸に位置し、明治時代までは重要な交通交流の場所で川や船との関係が深く、戦いや船の絵馬が残されています。中でも難破船の絵馬は珍しく県内で3枚が確認されています。

目次

氏神様 白山神社

昭和四十九年(1974年)には、老朽化した氏神さま(白山神社)を建て替えようと、集落の総会で決議されました。建築費用は、町内外からの寄付金、各方面からの浄財などがあてられました      

昭和五十二年に白山神社は新築され、同年七月三〇日に、落成式が、翌日には遷宮式(御神体を迎える神事)が行なわれました。上棟式は翌年に執り行われています。

尚、新築移転の際、これまで東向きだった本殿が西向きに変わりました。写真(上)は、新築移転される前の旧白山神社です。 白山神社は、文久三年(1863年)に再建されたという記述が残されていることから、江戸時代以前にはすでに神社は建立されていたものと推測されます。

建物は鉄筋コンクリート造で、屋根は銅板で葺かれています。様式としては流造り。新築されたのは、本殿・拝殿・手洗所(浄水)・玉垣などが建設されました。

白山神社」 

村社 石川県管下越前国今立郡矢船村四号字東出口十二番地
旧・鎮座場所は矢船村三号十五番地 上九日田ニ有リ
明治四十年十二月十九日 矢船村 字上九日田十五番地から移転。
境内神社・八幡神社は 右同年に白山神社に合併

由緒不詳
祭神伊弉諾美尊(いざなみのみこと)
応神天皇
社殿間数前口 一間半(二十一尺)
奥行 一間半( 拾弐尺九寸五分)
木鳥居高十二尺  巾十八尺  一基
境内坪数二百六坪
氏子戸数四十四戸

昭和49年。川﨑藤助区長ら8名によって「御宮新築委員会」を設立。その年の5月29日に現白山神社本殿に鎮座する御神体を、仮の宮となる公民館に〝御宮移り〟する儀式が行なわれ、その後、現・神社の取り壊しや建設工事が着工されました。

昭和52年7月30日に白山神社の落慶式が挙行され、その翌日の7月31日の夜に御神体にお越しいただく「遷宮式(せんぐうしき)」が暗闇の中、蝋燭の灯の中で厳粛に執り行われました。

この落慶式に向けて〝餅まき〟を行なう為、この年の田には餅苗が植えられ、餅米42俵が使用され、各班で餅まき用の餅つきが行なわれました。また、盛大に稚児行列も行われ、矢船町の住民にとっては忘れられない1日となりました。

「八幡神社」

無格社 矢船村四号七番地
明治四十四年 白山神社に合併

由緒不詳
祭神応神天皇
社殿間数前口一間半 奥行一間半
境内坪数七十八坪
氏子戸数三十人

白山神社に奉納された豪華な「絵馬」

白山神社(越前市矢船町)難船絵馬について  【右近了一 書】

 読者各位へ 

これらの絵馬を所蔵する「白山神社」は、矢船町に鎮座していて、日野川の東岸、日野橋(帆山橋)と日野大橋の中間に位置しています。

江戸時代は、当村の川原が福井藩・本多家の弓鉄砲の訓練所であったと伝えられています。又、隣の帆山町は対岸(左岸・大門河原村)との間に、府中から味真野方面に至る街道の重要な「舟渡し」がありました。府中(武生市)と三国湊は、日野川の川運も開けていて物流も盛んでした。このような歴史から集落名に〝船〟の名が付けられているのは何も不思議ではないと思われます。

この絵馬には、奉納者と絵師の銘が次のように書かれています。

奉納
(表)  新太郎 明治拾二歳八月夘下旬
(裏)  三国 本町  画 瀧ノ南渓 筆

絵馬図は、和紙に墨と絵愚(岩彩)で画かれていて板に張られています。

荒天激浪に翻弄されている船の様子が描かれています。船名が書かれていますが、薄くて判読は不可能です。帆は中間の位置まで降ろされ。反数は十六反、六人の乗務員が画かれているので三〇〇石積みの地廻りのベザイ船と思われます。

積荷などは描かれていませんが、荒波により海に放たれたのでしょうか。

絵馬の中でも、難船の絵馬は、きわめて少なく、福井県内では、三枚の絵馬が確認できているだけです。この絵馬を奉納した方は、どんな縁で白山神社に奉納したのでしょうか。

矢船町の白山神社は、昭和五十年に鉄筋コンクリート造りに新築されて、拝殿には六枚の絵馬が奉納されています。旧神社の時代には、まだ多くの絵馬が奉納されていて、その中には、船絵馬もあったと記憶しています。

矢船村への「水上謝礼」

下記は帆山村より矢船村に対して、毎年 贈られてきた経田用水の謝礼としての記述

帆山村より矢船村へ贈られた品々
加茂酒  暮れの盛に使用
江敷料  但し 高割に分割
水上御礼 一般の区費

「江敷料」とは、川下の帆山村の田への用水路(経田用水)は、矢船村地籍の田地を掘って流れている為〝協力御礼〟として支払われるもので、「水上御礼」という言葉にも現れています。

ここに「加茂酒」と記されています。「加茂酒」とは、帆山神社の起源は「加茂社」で、帆山・矢放・大屋村の氏神でした。つまり 帆山村の氏神「加茂社」からの御神酒です。

矢船村の「白山神社」と帆山村の「帆山神社(加茂社)」との直接の繋がりは見られませんが、近世まで「加茂社」の例祭には、矢船村の子どもたちも参拝していたという記述が残されています。これは国民学校(矢放分校)の繋がりと思われますが、矢船村と帆山村との関係「加茂社」についても何らかの関連があるものと考えられます。

尚、帆山村から届けられた「加茂酒」は、年末の盛集会の時に使用されました。

目次