3. 継体天皇お手植えの薄墨桜(帆山町)

北日野地区自治振興会

帆山橋から県道を東に300m進むと、継体天皇が即位のために都に上るときに植えたと伝える桜の木があります。毎年見事な花を咲かせ、町民は形見の桜と称し大切に守っています。

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継体天皇と薄墨桜

往古 継体大王が天皇として味真野宮(現・味真野神社)をたち都へ上る途中に、帆山神社に籠を止められ国中の安泰を祈願されて、別れを惜しむ老若男女を深く憐れみ、桜の木を植え、別れを惜しみ和歌を詠んでいます。

「氣怒氣怒乃都乃空波遠計禮登 魂波国薾残志置良免」
「きぬきぬの都の空は遠けれど 心は国に残し置くらめ」

やがて継体天皇の桜の木は、根も枝も伸び大きく成長して世にも稀な薄墨桜となり、村人はこの桜の木を「形見の桜」と呼んで子安神」と称し、「字・桜馬場」の地に祀りました。

帆山町の本村と出村の中間点(元テニス場の隣)に桜の老木が一本あります。

今から約七十年前までは、高さ三間半の大木で、帆山町の子供たちは、この木の近くで日が暮れるまでよく遊んでいました。

 また、遠く日野川を挟んだ川向(大門河原)では、「帆山の薄墨桜、今にも咲くからちらほらと」と歌われ、花の咲くのを楽しみに待っていました。

この老木も、昭和四十年代の耕地整理事業の時に一度枯れてしまい、現在咲いている桜の木は、その後、新芽を育て植え直した木で、元の場所は字桜馬場といって数十メートル北西に位置していました。

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