16. ロマンに満ちた太閤腰掛岩(平林町)

北日野地区自治振興会

柴田勝家を追って越前に入った羽柴秀吉(豊臣秀吉)が平林村に来た時、疲れたのでこの岩に腰を掛けて一服しました。その時、茶をもてなした優しい婆さんに「ここから見える山を与えるから欲しいだけ言ってみよ」と言われ小谷(字名)という山を戴いたと伝えられています。

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ロマンに満ちた逸話 「太閤の腰掛岩」

それ以前、つまり織田信長時代には焼け落ちていたのでしょう。山を開墾した際に出土した石像物の一部(写真下)は、近年まで、この婆さんの屋敷の周囲に何十個も置かれていたようですが、ひとつなくなり、ふたつなくなりして現在は、数個だけが「太閤の腰掛岩」の横で静かに眠っています。ちなみに、後世になって開墾した山で開いたブドウ園の名前は「太閤園」といい、現代においても当時の遊歩道、ふたつの池などが残されています。この「太閤の腰掛岩」は 昔は平林村東部の農道(のみち)の脇に置かれていました。

平林に往古より継承されている「田之神さん」

田の神さまの縁日は、十二月五日 この日は宿番の者らが神さま(石像)の前に大根一本と洗米・盛塩を供えます。中央の祠にはお神酒も供えられます。昼過ぎになると村内の善男善女らがやってきて皆さんで五穀豊穣に感謝して参拝するのです。この簡素な神事を司る神職は、村の年長者らで組織されている宮座十人衆です。又、この日、各家庭では、神棚に 尾頭付きの〝鯛〟と〝ぼた餅〟をお供えします。今、昔の移ろいは幻の如く、とも言われるように、こうした習わしも昔と比べて非常に簡略化されています。

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