17. 拝殿に龍の絵馬を掲げる日野神社

北日野地区自治振興会

江戸時代に鯖江藩の許可を得て建立されました。早魃になると日野山から流れ落ちる谷水だけに頼る生活は死活問題でした。ここでは雨乞い神事が行われ、拝殿入口には雨を呼び起こす龍と黒雲が描かれています。

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日野神社・遥拝所」(御旅所)

所在地福井県越前市平林町十四字 新堂
祭神継体天皇
主要建物社殿 三間三尺×九間
氏子日野庄五ケ村 一六七戸(西谷、荒谷、平林、庄田、岩内)
由緒日野山ノ神霊鎮祭スル日野神社ハ 山上・山下社殿ヲ建立シ 郷中四拾五ケ村ノ総社ナルニ依テ此地ニ御旅所ト名付ケ 社殿ヲ 輿渡ノ古例アリ常ニ雛ケ嶽ノ神山ヲ遥拝シ神式相営ミ 信徒参拝ノ為ニ相営 コレラ日野神社ノ口ノ宮ト称ス

【鯖江藩寺社改牒】

※慶長三年(1598年)七月。太閤検地の際、現在の遥拝所敷地の中程を東西に分け、南側を平林村、北側を庄田村地籍とした。この時代には、現在の遥拝所はまだ建立されていませんでした。この遥拝所が建立されたのは江戸時代(1700年頃)間部藩主の許可を得て建立されています。その後、明治三十年。台風によって建物が大きな被害をうけ傾いた為に、平林村と庄田村氏子によって費用を折半にして修復されています。こうした経緯から、現在の遥拝所の維持管理の費用は、庄田村と平林村がその費用の半分ずつを出し合っています。

庄田町の氏神さま

金山彦神社と相対する位置に置かれています。本殿の大きさは一間四尺四方です。    

ここに祀られている御本尊は 昔、洪水の時、荒谷から流れてきた木像を拾い上げた村人が「勿体ない」ということで小さい祠を建て安置したのが起源とされています。

本殿の大きさは一間四方。明治四十一年日野神社に合祀しています。現在の社殿は大正年間に再建されています

日野神社遥拝所に向かって左側(東側)に、隣接して鎮座しているのが金山彦神社です。この神社は江戸時代までは「観音堂」と呼ばれ、祭礼(六月十八日)は観音祭といわれていました。この金山彦神社は、明治四十一年に日野神社に合祀されています。

本殿の大きさ 前口 七尺
奥行 九尺 一間三尺

日野神社遥拝所拝殿新築

「明治四十年(1907年)」『武生市公会堂発行書 粋』
日野神社遥拝所拝殿新築
明治四拾年旧十一月拾参日
郷社日野神社遥拝殿新築ニ付 区内一同集会致シ協議致シ候處 新築致ス事之決議ニ相成候事 此入費之割方ハ 高半(資産割)、家半ニ割(均等割り)致ス事ニ相極リ(相決まり) 此事ヲ後日相守リ可申候也
旧拾壱月拾参日

遥拝所社殿前に置かれている狛犬・石燈籠

狛犬・石燈籠ともに大正二年の建立であり、奉納者は「庄田 氏子中」で、同じく遥拝所前に奉納された一対の石燈籠には「荘田區氏子建」と刻まれています。

日野神社遥拝所で〝雨乞いの神事〟

往古においては、田の水のほとんどが谷川からの流れに頼らざるをえませんでした。庄田村の金山彦神社の社殿に掲げられている絵馬は、明治時代遥拝所において雨乞い祈願の神事が行われた際に奉納された絵馬で黒馬は雨を降らせ、白馬は晴天をもたらすといわれている。 
「日野神社 於遥拝殿 五日夜 祈雨 献馬」
「願主 庄田村 氏子総代」

龍神図

拝殿入口中央に濃淡で描かれた龍の絵馬が掲げられている。龍は中国由来の霊獣で頭にはニ本の角と長い髭を生やし四本の足と鋭い爪を持つ。雲や雨を起こし、稲妻を放ち、雨乞いを司る神として大切にされてきた。絵馬には雨を呼び起こす黒雲と右下には渦巻が描かれている。

旱魃になると日野山から流れ落ちる谷水だけに頼る村人の生活は死活問題であった。雨乞い神事は五日五夜、村人は参籠し祈祷が行われた。                

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