\ お問い合わせはこちら /
公民館開館 9:00〜22:00
〒915-0052 越前市矢放町21-11
本殿各所に施された彫刻は、永平寺の七堂伽藍建設現場に参加、大規模な建設現場で技術や技法を習得して村に戻り、宮大工として神社建設に携わり功績を挙げた、小野谷大工が手掛けた立派な建物です。
無格社 今立郡小野谷村五十三番地 字西通
祭神 | 伊弉冊尊 ※(合祀 菅原道真)(合祀 宇迦魂命 少名彦那命) |
由緒 | 当社の創立年月日は不詳ですが、継体天皇が皇子だった頃、味真野鞍谷から、小野谷村 字大馬場辺(あたり)に来られ、当宮を崇拝されていたと伝えています。天正四年丙子(ひのえね)八月頃より(1576年)、村人の西長右衛門が、殊更(ことさら)信心して、この宮を氏神として崇拝していたといわれ、例祭は八月二十六日に決めたもので、それが、現在の白山神社の起源といわれています。この神社の由緒書は、西長右衛門が所持していましたが、安永九年(1780年)庚子三月、火事により、焼失してしまいました。また、小野谷村、字天神前五十番地に鎮座していた天満神社は、明治四十年(1907年)十二月二十五日、本社(白山神社)に合祀。白山神社の境内に鎮座していた稲荷神社(祭神・宇迦魂命)と、磯崎神社祭神・少彦名命)も、明治四十年十二月二十七日、本社に合祀しています。 |
本殿間数 | 前口 五尺(明治四十年十二月二十五日 改築) 奥行 五尺(明治四十年十二月二十五日 改築) |
拝殿間数 | 前口 五間(明治四十一年八月十日 改築) 奥行 二間三尺 |
渡殿 | 前口一間 奥行 弐間 |
制札 | 大正十一年三月二十九日 建設許可 |
木鳥居 | 高さ 一丈三尺 根巾 八尺 一基 |
神蔵 | 壱棟 (明治四十年十二月二十五日 記入) |
手洗所 | 巾 四尺 長 六尺 |
幟竿置場 | 長 八間 巾 壱尺五寸 |
本殿の各所に施されている彫刻は、匠の技 宮大工・小野谷村ならではの立派な社です。今立町の大瀧神社と並び豪華さを誇る、貴重な建造物です。
本殿を守護するため、向かって右側が口を開いた「阿像」、左側には口を閉じた「吽像」が置かれています。笏谷石で彫られた小型の狛犬は、北日野地域で目にすることができます。 狛犬は、朝倉家の庇護を受けた神社で多く見られ、荒谷町の二之宮神社(観音堂)、岩内町の朝倉家5代を祀る〝おこり石〟の祠前。大屋町の白山神社に置かれています。
無格社 石川県管下越前国今立郡小野谷村五十番地 字天神前
祭神 | 菅原道真 ※明治四十年十二月二十五日 白山神社に合祀 |
祭事 | 九月四日 |
由緒 | 不 詳 |
社殿間数 | 六十七坪 ※(移設される前の旧社の坪数です。) |
境内坪数 | 前口 五間(明治四十一年八月十日 改築) 奥行 二間三尺 |
氏子数 | 百二十人 |
【補足説明】
右記以外に江戸・明治中期までは「稲荷宮」「磯崎宮」も鎮座していましたが 明治期の「神社改正法」により二社ともに廃社・解体されています。「天満宮」は現在白山神社境内に鎮座していますが昔は集落東部に置かれていたもので、明治中期に現在地に移転しています。昔の「社」は一間半四方の大きさでした。
白山神社が、創建された時代については確実な史料が残されていません。明治後期に書かれた小野谷村共有文書、『神社の由緒書』には、「継体天皇ノ皇子タリシ時、當村、字大馬場辺ニ潜龍ノ頃、御信仰有シ由云々。(西暦500年頃)」とあることから、古い時代に創建されたものと推測できます。
白山神社は、明治四十、四十一年に大きな改築が行なわれています。この時期は、廃仏毀釈が世間を揺るがしていた時で、各集落では、氏神さまの威厳を保とうと、新築、改築・などが行なわれていた時代で、小野谷村においても例外ではありませんでした。
尚、現在の白山神社の本殿は、(棟梁・三村惣左衛門によって建て替えられたもので、二十年後の昭和三年四月三日、上棟式が盛大に行なわれました。
上棟式次第ノ大略ヲ列記ス
一 上棟式期日 昭和 三年四月三日ニ決定
区長、両委員参会ノ下ニ神籤(しんせん)ヲ以テ決定
一 総経費 金壱千参百壱拾壱圓参拾八銭
一 上棟式員並参列者
大工棟梁 三村惣左衛門
大 工 三田村惣右衛門 松村善平
板村嘉蔵 松村勘右衛門
杉本由太郎 杉本徳助
木挽棟梁 石本平助
木挽 田中才吉
車力 大塚與蔵
一 当日ノ模様
本社殿屋上ニ式場ヲ設ケ 村長・河端五右衛門氏ヲ始メ棟梁以下各関係者並ニ委員参列ノ下ニ 正午厳粛ニ式ヲ挙行セリ。
尚 境内ニハ、西南北三方ニ六十間ニ渡リ桟敷ヲ架設シ、五十有余俵ニ余ル力餅並べ準備ナルヤ、青年団ノ一ケ月余ニ渡ル猛練習ニ依ル。当日ノ呼物タル囃方ハ分教場ニ勢揃ヲナシ、各々其ノ衣装ヲコラシ、数千ノ参拝者ノ中ヲ、笛・太鼓ノ囃モ面白ク。特ニ奴(やっこ)ノ妙ナル練歩ハ(ねりあるきは)一際人目ヲ引キツツ、式場ニ到着。氏子ヲ始メ式場員並ニ練、子来賓一同桟敷ニ各々正装シ、ニ整列。終ルヤ午後二時ヲ期シテ、槌ノ合図ニ力餅ヲ八方ニ手渡シテ、政教裡(リ)ニ式ヲ閉ジタリ。
当日ハ終日間断ナク、煙火ヲ打上ゲ、遠近ヨリノ参拝者ハ其ノ数、実ニ 数千人ヲ算シタリ。